1968年1月31日、テト(旧正月)攻勢がはじまりました。
解放勢力側の強力な戦闘能力がテレビに映し出されたことで、ウエストモーランド司令官の発言はますます現実から遊離し、アメリカ国内で戦争への不満が高まりました。
しかし、ウエストモーランドは、統合参謀本部議長と協議を行い、新たに戦争拡大戦略を実行するため20万6000人の兵力増強を要請しました。
これに対して大統領は、クリフォード新国防長官が予備役動員をしない範囲で当面増派できる兵力数を、政府最高首脳からなる作業班で検討することを期待していました。
しかし、作業班参加者の大方のムードは、政策変更を求めるようになっていました。
また強硬なハト派は、防御的地上戦略への移行、山岳地帯の放棄、交渉による解決を主張しました。
そして、クリフォード自身も、このときには大統領に政策変更を求めるつもりになっていました。
ただしその方法は、大統領と直接的に対立するよりも、徐々に政策変更の方向に導いていこうと考えていました。
ところで、このようなクリフォードの動きに対して、ラスク国務長官は大統領の意向をくんで、戦争続行方針を変えないで進む方策を政府首脳に明示しようとしました。
それはつまり、北ベトナムの拒否を予定した「北爆停止・和平交渉提案」を行い、その拒否によって戦争続行方針に国論を操作しようとしたのです。
この提案の決定は引き延ばされましたが、この時期以後、政府内外の戦争批判勢力の圧力は一段と高まっていきました。
民主党大統領候補指名をめぐるニューハンプシャー州予備選挙で、ジョンソン大統領は反戦候補のユージン・マッカーシー上院議員に敗北しました。
これを機に、有力なハト派の上院議員ロバート・ケネディも出馬。
このように民主党ハト派はジョンソン再選への阻止活動を活発化していきました。
3月26日には、政財界の長老からなる「賢人会議」(エスタブリッシュメントの代表)が大統領に戦争縮小を勧告しました。